われらが時代/1969(昭和44)年



我等が時代/安藤二葉


追い出しコンパ
4年生の追い出しコンパは笹周で(1965年1年生の時)

 山小屋の崩れかかった階段を登ると、「サパンヌ」の空間が広がっていた。小さな部室は体育会系と違って、先輩後輩の制度が無い開放感が溢れていたのだが、何故か皆隅っこのベンチに座って、アンニュイな翳りが部屋に漂っていた。サパンヌ(裸のモミの木)と云う意味不明の和製フランス語が似合う、摩訶不思議な場所だった。
 昭和40年入学の我等が学年は、やたら女性部員、それも関東一円の女子高出身者が多く、大学に入りたての頃は、三・四年生が部室に顔を出すだけで何か威圧感を覚え、私たちは固まって小さくなっていたように記憶する。尤も、それは全くの私の思い込みに過ぎないようで、卒業後に聞いた後輩たちの思い出の中では、上級生となった私は男子部員を顎で使う猛者として、後輩たちに甚く恐れられていたらしい。


昭和40年の夏合宿
昭和40年・1年生の夏合宿は裏磐梯の五色沼

 男子部員は、内免、笹川、河原田、臼杵の諸氏。彼等の生国は富山、北海道、九州と揃って遠方出身者ばかり。夏休みになると旅行カバンを持って、「さて、国へ帰るか_」と嬉しそうに部室から去って行く。帰るべき故郷を持つ同期の仲間が、やけに羨ましかったのを記憶する。そして夏の合宿の後には、図々しくも友の郷里にお邪魔させて頂き、都落ちする国を持つ身の幸せを、少しばかりお相伴に預かり、悦にいったものだった。


1年の冬休み美術部の友人とスケートに
1年の冬休み美術部の友人とスケートに

 現在、私は中南米をうろつきまわる仕事に従事し、距離的にはあの頃とは比べ物にならぬほど遥か遠い地域で暮したりもする。根無し草的性分が植え付けられたのも、あの頃に覚えた旅の感動がルーツとなって、尾を引いてしまったのだろう。 カリブ海へ抜ける長距離バスや、アンデスの夜行列車に揺られていると、不意に何十年も昔、友の郷里へと夜汽車で旅した感覚が蘇ってくる。懐かしいと云うより、昔の時間が自分の中で生きていることを実感し、地球の裏側に一人いても不思議と孤独感を覚えたことは無い。これもサパンヌで絵を画くと云う、厳しい個人作業で鍛えられたお蔭だろうか。


現役の夏合宿に参加
現役の夏合宿(裏磐梯)にOBとして参加/1970年

 大学を卒業し、早くも三十数年、現在の仕事仲間の間柄では四年五年の年の差なぞ、全く無きに等しいのだが、自由の学府のサパンヌOB会となるや、一年一年の差が積み重なる縦構造が出来あがってしまうのは、何故だろう。
 「モディリング・ペーストを使って、マティエールを豊かにしろ」とか、「アンディ・ウォーホールはピカソを凌駕した」「お肌を手入れするように、絵にも下準備が大切だ。キャンバスの地肌をファンデーションで木目細かに整えてやるんだ。だがファンデーションが常に白だと決めて掛かるな。濃い色の下地に白い色を載せると、暖かい色調になるんだよ」と、私の胸には諸先輩の声が今も響いている。部室の先輩たちは今も永遠に先輩として私の頭上に君臨し、後輩たちは我が可愛い子分として、姉貴風を吹かし続けていたい気がするだから、不思議なものだ。良くも悪くも、サパンヌ・マイホーム、万歳!

 (S44年/仏文卒 安藤二葉)


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