粋だね「現代の絵師」


◇風流を巧みに織り交ぜた画家・平賀敬の素顔◇


 男女の群像をエロチシズムとユーモアあふれる筆致で描いた画家、平賀敬(1936-2000年)。パリの歓楽街・ピガールの人間模様や、花見、茶会、落語の一場面など日本の伝統的な風物を巧みに織り交ぜ、「現代の絵師」と呼ばれた画風は、現代絵画のなかでも異彩を放つ。薫陶を受けた一後輩の目を通じ、その横顔をスケッチしてみたい。


無頼の「俗天使」

 すべては人間・平賀敬の魅力に由来するのだろう、誰からも「敬さん」と呼ばれて慕われた。初めて出会ってからはや45年。思いが募って今春、若き日の敬さんをモデルにした小説の復刻を果たした。昭和35年(1960年)刊行の『俗天使』。戦後間もない東京・上野を舞台に〈少年・ケイ〉の無頼ぶりを描いたピカレスクメルヘンだ。著者は持丸良雄さんという作家で、昭和30年代前半、東京・池袋西口で酒亭「雪国」を営んでいた。
 若き芸術家たちの根城でもあった「雪国」に、敬さんも足繁く通った。物書きか絵描きになりたかったという敬さんが、父親の反対にあい、親孝行のつもりで池袋にある立教大学経済学部に入学したのは昭和29年。闇市の乱雑さと活気が残る街で酒を飲み、日夜、絵を描き続けた。
 私が同じ大学に入学し、敬さんたちが築いた「サパンヌ美術クラブ」というサークルに属したのは昭和37年。すでに「雪国」は店を閉じていた。それに代わる私たちの拠点は、同じ池袋の酒場「あさ」に移っていた。初めて敬さんに出会ったのも、この店だ。


古今亭志ん生的生き方

 作家の檀一雄さんやドイツ文学者の種村季弘さんら文化人の常連が多く、ときに激論が勃発し、客同士の諍いに発展することもしばしば。そんなとき、敬さんが間に入ると、いつの間にか座はまるく収まった。
 種村さんといえば、こんな話を敬さんから聞いたことがある。大学入学当時、「池袋にタネムラという神童がいる」との噂を耳にした敬さん、ある晩、種村さんがフランチャイズにしていた酒場に乗り込んだ。
 カウンターの隅にいた眼光鋭い青年が一瞥を投げかけた。すぐに件(くだん)の相手だと判った。隣に座って話すと、聞きしに勝る博覧強記ぶり。「ことと次第によっては成敗(せいばい)してくれよう」と意気込んでいたが、たちまちシャッポを脱いだ。この時、「こりゃあ物書きではかなわない。俺は絵に専念しよう」と心に期したのだという。当時、種村さんは東京大学の四年生。以来、二人は終生の交友を結ぶことになる。
 どこで会っても敬さんは、絵の話はほとんどしなかった。話題は太宰治、坂口安吾、梶井基次郎らの文学、そしてジャズ、映画。極めつけは落語で、古今亭志ん生の大ファン。小さい頃から寄席へ通い、日常の何気ない言葉や仕草にまで落語的雰囲気を漂わせていた。
 後年、仲間とスキーに行った時のこと。夫人お手製のカッコいいマントを纏ってゲレンデに現われた。「スキーなんて、ガキの頃は下駄代わり」と威勢はいい。たしかに敬さんは幼少時、雪深い東北で過ごした。が、「こうやって、こうすりゃ、ほら、片っぽうだけでも前に進むだろ」。マントは雪にまみれこそすれ、ついに翻ることはなかった。志ん生の十八番(おはこ)だった「唐茄子屋政談」??勘当された甥っ子を手助けし、かぼちゃを笊に積んだ天秤棒の担ぎ方を指南する叔父さんの図そのままだ。


溢れるサービス精神

 どんな時でも洒落っ気と含羞(がんしゅう)を身に纏った人だった。1964年に第三回国際青年美術家展で大賞を受賞し、翌年パリに留学するのだが、その直前、池袋の喫茶店でお会いした。酒抜きで話すのはお互いに照れくさく、敬さんの口も重かった。そして「学ぶのは洒落っ気だけだな」と、小さく手を挙げ、ひらりと姿をくらました。
 パリでは、連日訪ねてくる酒客の応対の間を縫って精力的に制作に励む一方、1968年の五月革命では学生たちに加勢して奔走した。また同じ展覧会に出品したピカソに気に入られ、アトリエに招かれておんぶしてもらうなど、どこへ行っても逸話には事欠かない。
 1977年に帰国した後も、思い出深いのは本業とは離れた付き合いだ。たとえば種村さんや美術家の秋山祐徳太子さんたちと始めた「酔眼朦朧湯煙句会」もその一つ。敬さんは〈蟹派鮪派怪我人も出し居酒屋の乱〉なんていう俳句で一座を煙に巻いていた。
 無類のサービス精神の持ち主でもあり、食道がんで亡くなる前日まで失うことはなかった。病室に駆けつけた私を見るなり、「おう、松ちゃんまで来たのか。俺、逝っちまうのかい」と、志ん生みたいにつぶやいた。
 三年前、終(つい)の棲家となった箱根湯本の住まいが夫人のアイデアで「平賀敬美術館」に生まれ変わった。温泉にも入れるユニークな美術館だ。ひと風呂浴びて、稀代の絵師の作品を眺めるのも一興。恋女房だった幸(さち)夫人が温かく迎えてくれるのが嬉しい。 

(S41松崎剛之/日本経済新聞2008年3月31日掲載)


筆者・松崎剛之さんと平賀敬さん
筆者・松崎剛之さんと平賀敬さん



平賀敬美術館(箱根湯本)


© Mastuzaki Takeyuki Mar.31.2008. and Photo credit by Mastuzaki Takeyuki. All Rights Reserved. 写真・映像作品の著作権保護のため複製(コピー)を禁止しております。
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